新年明けましておめでとうございます。
今回は新年一発目ということで、勉強を好きになりたい人のための記事シリーズです。
以前、記事の終わりに人生は知ることが目的と書いたことがあります。
https://youtu.be/G0ScBmELuZ4こんにちは。勉強好き社会人大学生の黒野です。私は現在、正社員として働きながら法政大学の通信制で大学生をしています。勉強って嫌いな人の方が多い。でもやらなくちゃい[…]
今回はそのお話になります。
当ブログは正社員として働きながら法政大学の通信制で大学生をしている私が勉強について情報発信するブログとなっています。
生きる意味とは
「人はなんのために生まれてくるのか」誰もが一度は考えると思います。
どうせ終わりが来る人生を生きる意味はあるのか。
私も何度も考えて、いろんな本や動画をみて、一つの答えが見えてきました。
それが、「人生は知るために、経験するためにある」これです。
人生は経験するためにある
もちろんこれが確実な答えかはわかりません。
でも、今のところこれが一番納得ができる。
まあ、私としてはそれでもモヤモヤする部分もありますが、でも他の答えよりもまだ受け入れることができる。
なぜ知ることが目的といえるのか
なぜそういえるかというと、逆にたとえばお金や人気などを目的とした場合を考えてみます。
これらはいくら稼いでも、人気者になってもまだ人生は続いていきます。
そうです、人生は最期まで終わることなく続いていくんです。
そして、富や名声を目的にしている人がその目的を達成したらどうなるのでしょうか。
そうです、新たな次の目標、すなわちより数値の高い目標を掲げてそこに向けて頑張るんです。
まるで欲望の奴隷ですね。
しかも、いつの日か必ず人生には終わりが来るものですから、あの世には持っていけず手放す時が来る。
そこになんの意味があるのでしょうか。
実はこの欲望に突き動かされる現象は人間の脳のドーパミンが関係しているという説があります。
これは麻薬みたいなもので、「これが手に入ったらこんなにいいことが起こる!」といった希望(うさぎの目の前に吊るした人参のように)を見せてくるのです。
しかし、それが手に入るとドーパミンの効果が段々切れるわけですから、また新たなより強い刺激を求めてしまう。まるで麻薬中毒者です。
話が逸れたので戻すと、じゃあ何を目的にすればいいのか、その答えが人生をゲーム化することです。
ゲームって大きな目標、たとえばマリオだとピーチ姫を助けるという一応の目標がありますよね。
でも、私たちは別にピーチ姫助けたくてゲームをプレイしてるわけじゃない。マリオというゲームを一面一面のステージを楽しむために冒険するためにプレイしています。
でもそうやって進んでいたら、いつの間にかピーチ姫を助けている。
この作業って面白いからみんながやりたがるのだと思うんです。
ピーチ姫を助けなきゃっていうだけの目的だったら面白くないと思うんです。
これを人生にも当てはめるわけです。
つまり、人生という一面一面、今この時々を楽しむ、味わう、経験する。
もちろんそこには一応の目標が必要で、でもそれが目的そのものではない。目標があるからそこまでのステージが現れてそれを経験していくわけです。
人生はいつか終わりが来て、あの世に何も持っていけないとしたら、それはつまり、この人生そのものを楽しむことが目的であるはずなんです。
まさにゲームをするのと一緒で、ゲームも別に何かを得れるとか、クリアすれば人生が変わるとかじゃないし、ゲームをクリアすればそれまでのレベルとかお金とかスコアが消える。
それでもやるのはそういうことだと思うのです。
終わりに
以上、これは今私が一番受け入れられる、人が生きている意味です。
目標も大事だけど、今を楽しむ、味わうことも大切。
ここでいう楽しむっていうのは、だらだら遊び呆けるようなイメージではなくて、一所懸命に、命を懸けて一つの所、今を生きている感覚をもって生きていくという意味です。
どうせ終わりが来る人生、でも限りのある貴重な人生、どうせなら思いっきり味わい尽くしたいものですね。
そして勉強とは経験することといえます。知ることといえます。
この世の真理にできるだけ近づくというこのアグレッシブな取り組みをぜひ、人生かけて取り組んでいきましょう!
ということで今年もみんなで勉強を楽しんでいきましょう!
以上、参考になれば幸いです。
質問はYouTubeのコメント欄から募集してるのでよろしくお願いします。
黒野でした!